みなさんは『聖伝』という作品をご存じだろうか?
『月刊ウィングス』(新書館)の1989年9月号から1996年5月号まで連載された作品で、『カードキャプターさくら』や『XXXHOLiC』などで有名な、女性漫画家集団CLAMPのデビュー作品である。
ウィキペディアによると、出版元である新書館は当時「CLAMPで本社ビルを建てた」と言われたらしく、言わずと知れた大ヒット作品である。
その『聖伝』を約30年ぶりに読んでみたところ、もものすけはある理由で絶望した。
30年ぶりに読んで初めて生まれた疑問
『聖伝』のストーリーを簡単に説明すると、主人公である最強の武神将夜叉王が、阿修羅族の最後の生き残りである阿修羅とともに、5名の仲間を集めて、天界を過酷なやり方で統治する帝釈天に戦いを挑む、というものだ。

物語は夜叉族の王である夜叉王が、天帝帝釈天にとって禁忌である、阿修羅の封印を解くところから始まる。
“天帝帝釈天の禁忌”であると知っているのに、自分の好奇心で阿修羅を目覚めさせて・・

“阿修羅族の子は一族にとって災いですぞ!”と意見する長老にムッとして出て行って・・

実際に一族が滅ぼされると、あっさり生活を変えて阿修羅と旅に出て、しかも2人旅(最初だけだけど)、結構楽しそうで・・・

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夜叉王って、本当に、組織のトップ・・・?
野暮なのは億も承知してるつもり
いやいやいやいやいやいや!!
そこじゃないでしょ!!
ってツッコミが全国1億2千万のCLAMPファンから、
それだけではなく世界中のファンからも
雨あられのように飛んできそうなのは百も千も、何なら万も億も承知してるつもりだ。
分かってます、『聖伝』はそこじゃない。
一族の王として立派に活動する。
部下と適切にコミュニケーションをとり、臨機応変に指示を下し、フィードバックを得て次の活動に活かす。
一族の将来を予測し、危機管理を怠らない。
部下や一族の皆から尊敬を集める夜叉王。

確かにこんな風に描けば、リーダーとしてカッコいい夜叉王になるし、阿修羅の封印を解いたくらいのことで一族皆殺しにされた彼の悲劇性がより強まって、読者も感情移入しやすくなるかもしれない。
でもそんな姿描いてたら阿修羅の封印を解くの1巻の終わりとかになりそうだし。
明らかに物語のテンポ悪くなるし、ファンが読みたいのは組織でのつまらないアレコレじゃなくアクションだし。

サクッと旅に出てほしいのは十分わかっているつもりなのだが・・。
もうすぐ40歳になる私、もものすけはわずか第1話で夜叉王の行動に違和感を抱いてしまった。
なんてつまらない大人になってしまったんだ・・・と心の中で大号泣した・・。
純粋だったあの頃に戻りたい
だって10代のころ夢中になって読んだんですよ!
ほんと絵が美しすぎて・・。
表紙だけで1時間は眺めてられる。
地元の本屋で初めて10巻(最終巻)と出会ったとき、そのあまりの美しさに衝撃を受けて目が釘付けになったのを今でも覚えている。

当時の自分にとって、夜叉王は主人公、カッコいい、アクションほぼ無敵=やってること全部正しい!って信じ切ってた。単純だけど・・。
“組織のリーダーとして適切な人物か?”なんてつまらないことはつゆほども思っていなかった。
ホント、大人になるってつまらない・・・。
夜叉王に対する違和感は6巻まで続いた。

なぜ6巻かと言うと、6巻で夜叉王が一族のあった場所に戻り、一族のみんなの亡骸を焼いて涙を流し、謝るくだりがあったから。

よかった、言葉にしてなかったけど心の中で一族の皆に対して申し訳なく思っていたんだと知れて安心した。
大人になったもものすけにとって、6巻で登場する夜叉王の弟、羅刹は心の代弁者だった。
今回ばかりは完全に羅刹派だった。

10代のころは正義のヒーロー夜叉王を邪魔する、単なるおじゃま虫と思っていたのに・・。
人の考えって時間が経つと変わっちゃうんだ。
良いことなのか、悪いことなのか。
今回ばかりはちょっと残念だなと思ってしまった。
『聖伝』ファンなのは変わらない
そうは言っても、自分が『聖伝』ファンなのは変わらない事実。
2024年に国立新美術館で行われたCLAMP展で、入場者特典のカードが阿修羅で大興奮だったし。
『聖伝』のカラー原稿や漫画の生原稿を見て大感激して、『聖伝』をまた読みたくなって全巻買って読めて、本当に幸せだった。
こんな素晴らしい作品を残して下さって、CLAMP先生、本当にありがとうございます!!